古代の白髪染め!
ヘアカラーは古くは、旧石器時代後期の古代エジプトのころ植物の樹液や鉱物を使って髪を染めていたらしい。
古代に於けるヘアカラーは「美」のためではなく、宗教や祈祷行事(魔よけ、豊作祈願など)的なものであり、古代中国では,茶葉の抽出物と鉄を髪に塗り黒く染めていたらしい。
また、古代ローマの人達は、ミョウバン・生石灰・天然ソーダ等に古いブドウ酒を加え水に溶かしたものを“ブロンド化粧水“と称して愛用、数日間も放置し懸命な努力の末に金髪にしていたそうです。
そのため、髪の毛は壁画で見るようなサラサラではなく、ギシギシだったのではないでしょうか?
日本の白髪染め歴史
平安時代末期の武将「斎藤実盛」、平維盛らと木曾義仲を追討のため北陸に出陣するが、加賀国(石川県南部)の篠原の戦い(1183年、源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘)で敗北。
最後こそ若々しく戦いたい!!
という思いから白髪の頭を黒く染めて戦に向かったそうです。
だから実盛を打ち取った武将は、すぐには実盛とわからなかったが、髪染めのことを樋口兼光から聞いた義仲が、老人の首を付近の池にて洗わせてみると、みるみる白髪に変わったため、その死が実盛本人と確認されたと記されています。
当時、染毛剤として鉱物性の無機顔料を使用していました。
また、日本で最も古い染料の記録だとも言われています。
近代日本の染毛剤
江戸時代ごろよりタンニン酸と鉄分を用いた媒染染毛法と呼ばれる『おはぐろ』を利用し、10時間程度かけて染めていたのだが、
パラフェニレンジアミンのアルカリ溶液を頭髪に塗り、空気酸化により2時間程かけて染めるようになって、飛躍的に時間が短縮されたそうです。
このパラフェニレンジアミンは1863年にドイツのA.W.ホフマンが発見して、1883年にはフランスのP.モネーが過酸化水素との組み合わせによるヘアカラーの特許を取得しました。
これが現在の酸化染毛剤の原型となりました。
明治38年日本で最初の酸化染料(志ら毛染君が代)が発売され
明治時代に発売された染毛剤は、全て黒色であり、当時の商品には、「白毛赤毛を黒く自然の髪に染め上げる」といった説明が付いていました。
当時、地毛の明るさは、癖毛と同様、女性の悩みでもありました。
今でも女性は髪が命だから悩みが変わったわけではないですね?
昭和になってようやく庶民に白髪染めが普及
昔の40代以降の人は、ほとんど白髪頭が普通だったのですね!
だから、老けて見えるんでしょか?
昭和32年
日本独特の製剤形態である粉末一剤タイプの染毛剤(パオン)が、昭和32年『ビゲン』が発売された。
これは粉末状の酸化染料、糊料、及び酸化剤を瓶に入れたものでした。
昭和35年
業務用『パオンデラックスヘアーダイ』
昭和42年
シャンプー式ファッションヘアカラー『フェミニン』
昭和47年
(パオンシャンプーカラー)登場
粉末一剤タイプはこのころからだんだん下火になって
家庭用染毛剤の中心は液体の物に変わっていきました。
そして、服装や生活環境がよりカラフル、ファッショナブルとなり、白髪染めばかりでなく、黒髪を明るく染める(おしゃれ染め)が登場しました。
(おしゃれ染めって単語も、今はほとんど使わないですね。)
昭和59年
ビゲンクリームトーン により、染め上がりの髪の艶や手触りが良く、染める時のアンモニア臭が少ない、垂れ落ちが少ない、必要な量だけ取り出せ、染めたい部分だけ塗布出来る。
そんな理由から、1剤染料部分と2剤酸化剤部分のそれぞれをチューブに詰めたクリームタイプの染毛剤が登場し、徐々にクリームタイプが増えてきています。
【現在はクリームタイプは下火になっていますが】
若い女性の間でロングストレートヘアが流行し、透明感があり、髪をサラサラとした感触に仕上げる酸性染毛料(ヘアマニキュア)が人気を集めてきましたが、
むしろ今では、白髪の年配の方のほうが、きっちり色が入りまた、いろんな色が楽しめるので年配の方にマニュキュアは人気のようです。
平成13年4月の化粧品規制緩和に伴い、HC染料と呼ばれるノニオン性染料を使用した染毛剤が開発され、平成14年金属性の染料として硝酸銀及び乳酸銀を使用し、白毛が次第に染色される光還元による感光性染毛剤が発売される。
現在
平成15年には硫酸銀を使用した光還元による感光性染毛剤により、発色が改善され色付きが早くなりました。
その光で染める画期的な白髪染めが発売!!
ヘアクリームをムってるような感覚で白髪が染まります。
また、とても手軽なムース状の毛染め剤も発売されています。
現在進行形でどんどん新しい技術革新が行われ、新商品が発売されると思います。
そうなれば、もっと髪に良い商品を選ぶことが出来るはずです。